リングにかけろ

リングにかけろ 高嶺菊 竜児を世界チャンピオンに育てた名トレーナー

「リングにかけろ」概要

作者/車田正美

掲載誌/週刊少年ジャンプ

連載期間/1972年2号~1981年44号

主な登場人物/高嶺竜児 高嶺菊 剣崎順 香取石松 志那虎一城 河井武士 など

主人公高嶺竜児がプロボクサーだった亡き父の遺志を継いで世界チャンピオンを目指すべく、姉である菊の教えを受けて成長していくいわゆるスポ根系のボクシング漫画。

略称「リンかけ」

高嶺菊 どんな人物?

高嶺竜児の姉にして、弟の竜児を最終的に世界チャンピオンにまで育て上げた名ボクシングトレーナー。

女性ながら亡父から受け継いだ類まれなボクシングセンスとテクニックを持ち、

父親の成し得なかった世界チャンピオンへの夢を叶えるべく、泣き虫だった竜児にボクシングのA to Zをたたき込む。

この当時RIZINなどの総合格闘技イベントがもし存在すれば、菊はまちがいなくトップの女子格闘家となったことだろう。

大人しく控えめな母親や弟とは対照的に明るくかなり強気な性格だが、涙もろい人情家の一面もある。

呑んだくれで暴力をふるう継父の富蔵に反発し、菊は竜児と共に故郷から逃げるように上京する。

中学卒業後は進学せず、身を寄せていた大村ジムの会長が経営する医院で看護の助手を務めながら竜児を鍛え、その成長を見守る。

物語序盤から中盤あたりまでは竜児と共に主役級の活躍を見せるが、竜児が育ち一人前のボクサーとなってからは次第に影が薄くなっていった。

出会った当初はいがみあっていた竜児のライバル剣崎順とは、いつしか互いに恋心を寄せる間柄となり、

竜児と剣崎の世界タイトルマッチ後にめでたくゴールインとなった。

高嶺菊の名トレーナーぶり

物語序盤では菊が竜児にボクシングのテクニックを伝授するシーンがこと細かく描かれている。

竜児に対し、ボクシングの本質の説明から入り、

左ジャブ右ストレート左フックの順に段階を踏んで教えていく。

菊のパンチの打ち方指導は

もしかしたらオレでもやれるんじゃねぇ?

と思わせるリアリティーと説得力があった。

かの有名な「あしたのジョー」などは逆に「誰にでもできるほどボクシングは甘くない」的な敷居の高さを感じさせるが「リンかけ」はそうではなかった。

例えば菊トレーナーによる第二のパンチ右ストレートの説明はこうだ↓

まず基本姿勢の状態から右足をキックして、上半身を左に軽く半回転させながら、重心を左足に移す

この勢いを利用して自分と相手を結ぶ一直線上を右拳をまっすぐにのばしていって、

目標をぶち抜くように打つ!!

「リングにかけろ」より

目標をぶち抜くように打つ!!」のフレーズを連呼しながら、当時右ストレートを一体何度放ったことだろう。

パンチを完璧に習得したと錯覚し、いい気になって友人たちと「ボクシングごっこ」をしていた青臭い時代を思い出す。

しかし、悲しいかな実践できるのはここまで…..。

第三のパンチ左フック習得後から竜児の超人ぶりが一気にスパークする。

竜児の放つ左フックはパワーリストの恩恵もあって、菊のミットを切り裂いてしまうほどの破壊力を持ち、対戦相手を場外へことごとくぶっ飛ばしてしまうのである。

必殺ブーメランフックの誕生。

誰もが夢から覚めた瞬間であった。

以後はパンチの練習も徐々にしなくなり、ついには肌身離さず装着していたパワーリストも押し入れのすみに追いやられてしまう始末。

ちなみにパワーリストはリバイバルの形で発売となった「リングにかけろ1」ではドラゴンリストという名前に変更となっていた。

さらに剣崎がパンチ力向上のため酷使していたアポロエクササイザーギャラクシアンエクササイザーに変更されていた。

なぜそうなったのかは未だ謎である。

かくして竜児のブーメランフック誕生以後、現実路線から非現実路線への転換を機に、

幾多の超人たちがこぞってスーパーブローを生み出す流れとなり、菊の実戦的指導も徐々に影をひそめることになったのである。

おわりに

今回は高嶺菊の名トレーナーぶりとそれにまつわる思い出話を紹介しました。

スーパーブローが打てるようになるかどうかはともかく、これからボクシングを始めようという方は菊の指導をぜひ参考にしてほしいです。

次回も「リンかけ」の登場人物や名勝負についてお伝えします。

どうぞお楽しみに!